2017年5月14日日曜日

夏の夜の夢の国の海

一目惚れ(一写惚れ?)して買ったニッコール58mm f/1.4Gを、夜のディズニーシーに持ち出して撮ってみました。
三脚は使えないので手ブレが心配でしたが、きっちり綺麗に切り取ってくれました。
すべてf/2で撮りました。


















2017年5月6日土曜日

瑞鳳殿に行ってきた

GWの5月1日(月)に伊達政宗が眠る瑞鳳殿に行ってきた。
伊達政宗はホトトギスの初音を聞くために経ヶ峯に登っていて、死後はここ経ヶ峯に葬るように命じ、その御霊屋が瑞鳳殿だそうです。

伊達政宗が眠るのは瑞鳳殿、息子の伊達忠宗が眠るのは感仙殿、孫の伊達綱宗が眠るのは善応殿です。

駐車場から参道を登っていきます。参道の石段は藩政時代からのものだそうです。瑞鳳殿全域にある杉の木は正宗の好みで植えられたとか。

瑞鳳殿の正面に涅槃門があります。
「涅槃で待つ」と言った沖雅也を思い出します。

牡丹に唐獅子。

これは残念な写真です。
涅槃門の上部を裏側から撮ったものですが、表には麒麟の図柄があるそうです。

涅槃門を通って瑞鳳殿に入ります。
 極彩色豊かな瑞鳳殿の上部周辺。
「瑞鳳殿」の周りの青はものすごく高価な塗料だそうです。
この青色から思い浮かぶのはラピスラズリ(ウルトラマリン)かな。

扉の下部には蓮(Lotus)が掘られています。

扉の上部には琴を弾く天女が舞います。

ここにも唐獅子。派手で立体的な造形です。

瑞鳳殿の左右に殉死した家臣の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が並びます。

この瑞鳳殿は1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、1979年(昭和54年)に再建されました。

伊達家の家紋はいくつもあって、瑞鳳殿の扉には竹に雀と九陽があしらわれていました。

それにしても豪華絢爛です。

次は正宗の息子は忠宗の御霊屋、感仙殿です。

感仙殿も瑞鳳殿に負けず劣らず豪華絢爛です。
ここも戦災で焼失し、1985年(昭和60年)に再建されました。

藩政時代からの石灯籠。

感仙殿の左側に貞宗の孫は綱宗の御霊屋、善応殿があります。

善応殿は祖父の瑞鳳殿、父の感仙殿と違い天女が舞っていません。
ここも戦災で焼失し、1985年(昭和60年)に再建されました。

伊達男という言葉は派手でお洒落な伊達家から来ているとも言われています。

2017年5月4日木曜日

山寺に行ってきた

GWの4月30日(日)に松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」で有名な山形県の山寺に行ってきた。
登山口までの細長い道の両側に土産物屋や飲食店が並んでいて、駐車場がお土産を買ったり食事すれば無料なので、ふもとやという土産物屋に入る。
まずは腹ごしらえに板そばを食べたんだが、そばの量が尋常でないほど多い。店員さんが持って来た時には二人分か?!と思ったほど。量が多いうえ太い田舎そばなので3分の1ほど残してしまった。ゲソ天がおすすめらしいのだが、山なのにイカ?

満腹になったのでさっさと登山を開始する。

登山口からいきなり階段の連続。この階段は66段だったかな。
奥之院まで1,000段以上あるので大変です。

まずは立石寺本堂。

桜が満開でした。

山寺立石寺案内図があるけど、複雑なので覚えきれません。
ふもとやで貰った山寺観光案内のちらしが非常に助かりました。

山の中に階段があって、それを延々と登っていくんですが、途中でこのような塔や・・・

お地蔵さんがうようよあります。

杉の木が多いので花粉症持ちは大変です。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」をしたためた短冊が埋められているというせみ塚。

山壁のあちこちにこんな壁画?があります。

奥之院に到着。この日は快晴で上着を着ていると汗ダクダクでした。

奥之院手前の灯籠?の龍。

奥之院の中は撮影禁止なので上にかかる柱の像(象と獅子か)を撮る。

山壁に建つ建物。ここから下界を見下ろしていたか。

納経堂。山寺内で最古の建物らしい。

納経堂付近からの下界の眺め。

あちこちに風車があるのだが、セルロイド製なのでちょっとね。

納経堂は切り立った崖に建ってます。

気持ちの良い天気でした。

山寺は思ったよりも良かったです。
山壁のあちこちに建造物があり、その存在が日常的ではないので異界に来たようです。

下山口そばの池は桜の花びらで埋め尽くされていました。

真空管アンプは値段なのか

昔、オーディオに凝っていた時、学芸大学の高級オーディオ専門店の ホーム商会 で真空管アンプの音を聴かせてもらっていた。その真空管アンプの音色は素晴らしく暖かな音で、欲しかったけど軽く100万円を超えるアンプなのでとても手が出なかった。まあ、その頃はハードロックばかり聴いてい...